作家便り「11年3月/永島信也」展覧会によせて 永島です。
この度は、無事個展を開催できる運びとなりました。
こんな状況ですが、初日からお客さんも来ていただき、感謝しております。
今回は特に作品解説の時間を設けなかったので、この場にてお話したいと思います。
「mixture」について
mixture:混合すること 混合物
僕は以前より、いろいろな生き物を混ぜ合わせる表現をしてきました。
特に、人とそれ以外の動物や現象を一体化させるということは、今回の展覧会に限らずよく用います。
人は古来より、人外のもの、幻想の生物を想像するとき、何かいろいろな生物を混ぜ合わせるということをやっています。ギリシア神話にはそのような存在が多数出てきますし、龍や鵺なんかもそうです。
僕は幼い頃から人と違う物が好きだったこともあり、自分で新たな存在を創造するということにとても執着しています。
以前は、創造とは神のようにゼロから何かを生み出すことだと考えていました。
しかし、僕は生き物が好きという一面もあるので、姿かたちが生き物、特に動物の枠を出ないということはとても重要なことでした。
そうなると、自分が出来ることは神になって存在をゼロから生み出すことではない、と考えるようになり、行き着いたのは今まで人々がやってきたことと同じように、この世界に存在する生き物や現象を混ぜ合わせることだったのです。
「擬死」シリーズ、「闇に溶けゆく」、「激流に抱かれて」
これらは人や動物が「死」や「水」といった現象と溶け合ったものです。水というのはそのまま「時間」や「空間」をあらわすものです。溶け合うことによってその現象に近づく、死を知りたい、水と溶け合いたい、そういった自分の願望がそのまま現れた作品です。
「死の番人」、「鯉恋」、「擬態」
死の番人はギリシア神話のスフィンクスです。胴より上が女性、ライオンの身体、鷲の翼、尻尾がヘビの怪物で、戦場で死を見守る存在とされています。これはそのまま古代の人が創造した伝説の生物を作ってみたという作品です。
鯉恋は鯉に恋した少女の物語。擬人化でもあり、鯉と人が泡を介して混ざり合っている情景でもあります。優雅な巨鯉に心奪われた少女というお話をなんとなく想像しながら作りました。鯉の顔が間抜けなのはご愛嬌です。
擬態は個展準備期間の初めのほうに作った作品で、この頃はまだ個展自体の全体像が固まっていませんでした。なので、内容からすると少し異質な作品かもしれません。単純に強いものへ擬態する。本来の意味での擬態をそのまま作った作品です。
「お菓子」シリーズ、「ラバーゲッコー」
これらはお菓子やゴムといった人工のものに擬態したシリーズです。
擬態というより、化けるといった方がしっくりくるかもしれません。
ひっくり返してびっくりする、そんな遊び心で作った存在です。
今回は全体としては暗いイメージとなっていますが、内容としては現象、存在への好奇心から制作したものばかりです。手にとって、その存在を確かめていただければと思います。
最後になりましたが、震災で被害を受けた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
被害の大きかった場所は落ち着くまでまだまだ時間がかかるでしょうし、何かと心配なことも多いです。
一日も早い復興、再建を願っております。
- 2011/03/22(火) 18:15:18|
- 永島信也(神奈川)
-
-