「日々いろいろ考えること」/永島信也・閑溟 作家便り5月
●作品の終わらせどきについて考えたりしています。
次に行くタイミングと言うのは、大切だと思います。
自分は、どちらかと言うと作ってから考える、今回の失敗を次回作で、修正するタイプなので、
作品の大きな形、構成については、次の作品につなげていく方が良いのではないか・・・。
細かい部分は修正が効きますが、それにとらわれてばかりいると、
精神衛生上、非常に良くないと実感しております。
ただ、最近村上隆さんのツイッターなどを拝見していても思うのですが、
「最後の詰め」の大切さは実感しているつもりです。
人がわからないくらいの小さなところまで気を使わなければ!!
あまりやりすぎるのも職人的になってしまいますが、
根付とはそういうもののような気もします。
そこをどう上手く崩すか、これが重要な気がします。
下手をするとただ手を抜いたようになってしまいますから、そのあたりが今の悩みどころです。
●現代アートの流れとして、「汚いものをどう美しく見せるか」というのがあります。
どちらかと言うと、ただ汚いものを見せ、
これがアートだ!と言っているものも多いような気もしますが。。。。
そして、技術、表現、コンセプト、あらゆる意味でのリアリズムというのは主流です。
この二つは言ってしまえば共通のようなもので、
リアルの汚く生々しい部分を美しく昇華させるものが
現代アートの大事な要素ではないかと感じます。
そしてそのあたりが、現代根付のジャンルには無い部分なのかなとも思っています。
そこを攻められればと思いますが、どっちもつかずになりそうで怖いところでもあります。
なかなか「汚いもの」を「美しく」するのは難しいです。
それができている人が売れているのだから、
当然と言えば当然なのですが、下手すると大ゴケしてしまいそうで怖い!
僕は、クリムトが好きなのですが、そういう意味でもクリムトは凄い。
生々しいテーマを美しく表現しています。
今までは装飾や女性に目が行きがちになっていましたが、
もっと内面的な部分も参考にしなければと考えています。
結局「クリムト信者」になってしまいますが。
次の作品はクリムトっぽくいきます。
この方向性でいろいろとアイデアは浮かんでいますが、
なにぶん、完成してみないと自分でもわかりません。
これがうまくいけば、展覧会に向けて前進するのですが。

- 2010/05/13(木) 23:12:08|
- 永島信也(神奈川)
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