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根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。
展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り2023年4月/「老根付師 徒然草 令和五年 卯月」 齋藤美洲(埼玉)

早い、速い、疾い、捷い!

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 正月二日、仕事場に差し込む陽を写したばかりと思いつつ、もう春の彼岸。
 今年の春到来は例年になく目まぐるしく、慌ただしい。こぶし、白木蓮、木瓜、雪柳、水仙、書き出せば数え切れぬ花が、我が散歩の道すがら、春だョと語りかけてくる。高地のお花畑の感がする。
 春の花は、皆、心騒ぐが、私は雪柳と白木蓮の白さに思いを寄せる。特に白木蓮は、美人と表現するよりも、容姿の気高さと品の良さに、白衣観世音菩薩を想起する。人は生きて居るのではなく、生かされて居るのですョ、と無言の諭を受ける想いがする。

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 暇つぶし と 楽しみ
 旧友と久しぶりに会う。彼は事業に成功し、申し分のない生活の中にいる。家族も健在だし、行きたい所、食べたい物も、思う様に出来る。どこを旅行した、どのレストランで食べたと語るが、何故にか心底から楽しんだ感がない。「毎日を楽しむ」という教科書通りの行動をすれば心の充実が得られると思っていると思われる。私は云った。君は羨ましい程の毎日だが、そうすれば楽しくなるではなく、楽しいからそうするに変わらないと充実感は得られないョ、と。彼に比べ、ずっと貧乏の私には、やる事があって良いヨナ、とも云われた。過ぎ行く時を、暇をつぶすのか、楽しむのかには大きな差がある。

 楽しむという事
 前述の話は老人の会話であるが、楽しむ事は老若に関係なく必要と考えられ、根付創作に限定しても同じ事が云える。
 人の作品を観ると、始めに感じるのは制作時の作家の心持ちである。作品の発想から意匠、造形、仕上の過程で、思い通り進行したのか、迷いながらなのか、解る気がする。時には作家の生活環境すら見えてくる。そして作品が好もしく思えるものは、巧拙を抜きにして、作家が楽しんで創作した根付であると私は思う。

 老根付師 楽しんだ事
 老いとは面白いもので、視力、体力、気力等、能力が衰えてくるのに、根付の理想の姿が見えてくる。反比例するのは何故だろう。不思議。
 こんな心境の中、仕事入れの引出しから、数点の未完作品に気が付いた。数年前のものだが、視力に自信がなく、“一本毛彫り”を躊躇していた。しかし、今月、私は傘寿。未完のまま彫刻刀を置く事になると一念発起。やるのは今でしょ!と挑戦。
 一本毛彫りとは、馬や唐獅子等の、尾やたてがみの表現であり、髪の根本から先端に至るまで一本の線を彫り重ねる技法で、私は他の毛彫りに比べ、一番難しいと考える。
 また、老人の眼には、象牙の反射が彫り跡を消して見えない故、ライトの角度を変えて確認する等、苦労した。
 若い頃なら、根付を材料から仕上げるまでと同等の時間を掛けた。眼はショボショボ、痛む両手を揉みながらの毎日だった。脳裏に有る理想には至らぬが、作品として通るであろう所までは来た。

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 一月末から二月のことであったが、この間の充実した心理は何物にも代え難いものだった。老人の能力の限界と思われるが、投げ出さなかったのは、彫刻する事が面白く、楽しかった為だろう。
 辛い事も、克服するには心底楽しさが有ればこそと思われる。
 春陽の候、日々是絶刀
  1. 2023/04/20(木) 17:44:18|
  2. 齋藤美洲(埼玉)