謹賀新年 祈念 本年亦皆様御多幸
季節の挨拶は、お寒う御座居ます。
冬将軍
NHKラジオの教養講座で、1回30分、10週にわたり「ロシア文学と戦争」を聞く。ウクライナへのロシア軍侵攻に対しての企画だろう。
トルストイの「戦争と平和」から始まり、ナチスドイツ戦、第二次世界大戦後のソ連邦に至る、様々な文学談義を興味深く聞いた。
以下、私的感想だが、ロシア史における支配者は皇帝と貴族、富豪商人の一握りに限られる。一般庶民、農民の生命などは、支配階級から見れば物であった。トルストイの時代から今に至るまで、貴族軍人とその部下から成る正規軍は温存。徴収兵を最前線に立たせ、勝機に至ると正規軍の手で勝利し、貴族軍人は英雄になる。
1932~34年のウクライナでのホロドモールと呼ばれる飢餓では、農民1,100万人、強制収容所では350万人の死亡者を出した。これはソ連が、近代化の為に穀物を外貨に変えた為だという。これも支配者の命令によるのは帝政と変わりはない。
ロシア戦史では、冬将軍が敵を凍えさせ、兵糧を断ってくれて勝ちを得た。
この成功体験の故にか、今回はウクライナのインフラを破壊し、国民全部を凍えさせて戦意を喪失させる作戦に出た。(日本の場合は77年前、火に敗れた。)評論家の人道論も、国際法違反もへったくれもない、これが人のする戦争だ。厳寒の中、凍える庶民と前線の兵士はどうなるのか。
私は弱い者に心を寄せる。散歩中に見る福寿草の蕾・・・。
「現代根付」初期の作家活動と古典との繋がり、演者自己紹介
今月の根付研究会にて、上記の題で話すことになった。この題を話せる素養を持ち合わせているかを聞いて頂き、本題に入ることにした。その下書き。
私は象牙彫刻の家系で四代目になる。工房内での伝聞は、遠く1863年、桜田門外の変から始まる。当時、大老暗殺に居合わせたある御家人が、現場に加勢しては命がない。番所に通報も武士として不面目。だんまりを決め込み、その後明治になって初代美洲工房の象牙彫刻師となり、皆に事件について語ったという。
曾祖父美洲は明治三十六年、谷中・延命院の彫刀供養碑の裏側に名が刻まれている事から、その時には一家を成していたと思われる。上田令𠮷著「根附の研究」作家欄に、美洲の名と落款がある事は、私の誇りだった。
祖父は、彫刻を学ぶと共に、商才があった故にか工房を広げ、一時は30名程の専属作家を抱えていた。父も戦前の象牙組合の副会長だったと聞くが、創作に専念すれば名を残せたかも。明治、大正、戦前昭和の面白伝聞は数多くある。私が中村雅俊先生に親しくして頂いたのも、祖父が先生の御父上空哉氏と吞み友達であった事から来ている。
戦後、「りんごの唄」から私の記憶が始まる。復員した作家、新弟子たちに囲まれ育ち、子供の頃より色々な作品を観て育った。
戦争中、贅沢品禁止の対象に象牙も入った為、父は一時骨董商となったが、その縁での出入りも多く、古典根付にも触れた。光廣のあひるを手にした時のギョッとする様な感激は今も忘れない。
国立近代美術館開設よりは、絵画教室仲間等の遊び場となり、ロダン、ブリューゲル、印象派絵画に親しんだ。バルザック像、弓を引くヘクトーがお気に入りだった。同時に、東博のNetsuke - A Miniature Art of Japan – を愛読し作品と作家名を知った。(後に郷コレクションと知る。)作家の方々との、どれが秀作かとの論議も面白かった。
高校時代から進学の為、デッサン、彫塑を学び、雑誌、美術手帳が愛読書だった。父の年齢を考え、この道に入ったが、その予感が当たったのか、一年半で父は倒れた。
以後、独学であったが、幸いにも、外国人の根付愛好家、骨董商に会い、古典根付の何百ものコピー仕事で、根付とは何かを学ぶ事も出来た。
仕事に坐り込んでから、10年を経た時、キンゼイ夫妻と出会う事になり、「現代根付」の名称が誕生する。
以上、講演枕の下書きだが、さてどう話すのか?
駄文、読まれた方はお疲れ様。

※「現代根付」初期の作家活動と古典との繋がり」について、日本根付研究会で講演をされた美洲さんのサポートで、
スタッフもスライド資料の準備などお手伝いして、さまざま勉強になりました。
- 2023/01/27(金) 10:00:14|
- 齋藤美洲(埼玉)
-
-