79歳の個展は、私の精神に大きな良き変化を与えられ、次のステップの下準備に没頭している内に、カレンダーは12月に変わっていた。
その間、名知らずの瓜が実をつけ、玄関先の庭木が紅葉となって、季節の移ろいを知らせてくれた。

個展 個展とは、作家自身が己を見つめる為のものであり、自身の欠点、美点を観る人の感想等も加味して、客観視して、明日の創作の糧にするものと以前に書いた。売ることを目的とするならば、個展とは別の名称になるだろう。
告白すると今回の目的は、私自身で、仕事の小刀を折る時か否かを見極めることであった。
その結果、小刀を持ち続ける事で、これからの生き様に意義を見い出せた故、気楽な気持でペンを運べる。
今思うに個展前には、年齢の事、現在の仕事の実力の事、これからの生き方の事、等々全てがネガティブな考えに包まれていた。ポジティブ思考になった現在、何故あの様な考えに陥っていたのか、不思議な思いがする。
自己分析してみると、私のバイオリズムは10年周期の様で、10の位が変わる時期に最低になり、ネガティブ思考になる。過去を振り返ると、30代後半から10年ごとに落ち込みがあったと実感している。
コロナ禍における作家の心理 この事については、私だけでなく他分野の作家を含めて、共通項があると思われる故述べておきたい。毎年見ている絵画展でも、彫刻展でも、コロナ流行の自粛に入ってからは、気迫、気鋭に満ちた作品が見られなくなったと感じるのは、私だけだろうか?
作家の多くは、その作業が孤独な故に、人を求め会話する。自分の思いを人にぶちまけ、逆に人のそれを聞く。反論の談議に時をも忘れる。会話によって、自分を客観視でき、相手の発言を尊重して参考にする。私の会う作家は、皆さん言いたい何かを持っている。それを聞くのを、私の楽しみとしている。自粛によって会話の機会を失った作家は、自ずと自分との対話になる。他の人の反論がない故に、ネガティブな思考に傾斜して、悪くすると鬱的な気分に陥ってしまう。創作、生活、健康等、深く考え出すとネガティブな思考から抜け出せなくなり、私から見てアレ?と思わせる人に会った事もある。
私も、上記の様な精神状態で個展に臨んだ。案内状も鬱的思考から最低限しか出さなかったが、有難いことにご案内をお送りした方以外にもご来廊いただけた。肩肘張らず会話出来る楽しさを、日々噛み締めさせていただいた。初日から、あまりお茶を引く事もなく、会話しながらの時が過ぎた。最終日、帰りの電車で一人になった時の“爽快感”は、忘れる事はないだろう。鬱からの解放だ。これからの人生に、存在意義を持てた。来廊者に感謝するのみ。
脳は生存の為に孤独を避ける、と学者は云う。コロナの閉塞から、早く世間が解放されますように。
鬱から脱し、躁を楽しみ、一気に書いた乱文ご容赦。躁によるハシャギ過ぎ、これからは気をつけます。
そんなハイテンションの気分でいる中、現代根付という呼び名が出始めて約50年。前半期は過去になりつつあり、若い人にとっては昔話。その前半期について講演してほしいとの依頼を受けた。そこで思いついたのだが、このブログでもこれから先は、現在と比較しながら昔の話を書きたく思います。老人の与太話より面白いかと。
良いお年を・・・。
- 2022/12/18(日) 19:23:56|
- 齋藤美洲(埼玉)
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