年寄りの早とちりで、個展の開催日を遅く思っていたが、11月1日とのことで、大慌てで時は過ぎた。本日は10月8日。
秋の彼岸の近く、庭に曼珠沙華が姿を見せてくれた。その佇まい、一輪のみを眺めると、楚々としたプロポーションに加え、妖艶な風情。見る人に様々な感情移入を誘う。また、群生した花々が他の草木の間を覆うと、そこが赤に近い朱色の炎で燃え立っている風景になる。桜花より短い期間であるが、彼岸花ともいう様に、何故にか仏教的死生観をも想起させる。
何もない地面から突如として花芽が伸び、美人が立ち上がって姿を見せる。周囲に葉はない。花が枯れると葉が顔を見せ、次の初夏に姿を消す、桜とは逆の生き様。不思議。


Simple is Beautifulへの序章
来月の個展のタイトルである。先月のブログにこの発想に至る理由を書いたが、未だ思考の内であって、明解な完成図が有るわけではない。今後、様々な実験的作業を重ねる事によって、理想像が浮かんでくるものと思われる。そんな作業の一例。
左右対称的に創った「跳び兎」2点は、今年の初めには小刀作業の最終段階にあった。4月には磨きに入っていたが、この頃から根付造形の本質はシンプルを基本とするのでは、との考えが強くなってきた。鹿角と木のうち、造形的に勝っていると思われる木で実験を試みることにした。手足の肉球も髭も、彫りにくいスタビライズド・ウッド故、長い時間を掛けていて戸惑いもあったが、先のためとヤスリを入れた。


鹿角を根付に彫る場合は、浮かんだデザインをそのまま具現化する事は出来ない。素材の形に合わせる制約がある。木の場合は、自由にアイディア通りに出来ていたので、私は「跳び兎」の造形に何を求めたのか?自問しながら、少しずつ、少しずつ、削ぎ落しを試みた。この作業、彫刻の原点に戻ったかの感があって面白く、細密に彫り進むのと同じ様に、際限がない様に思われる。彫刻家ジャコメッティが、削いで、削いで、ついに何もなくなった話は、突き進む楽しさを思うと頷ける。

長い時間を掛けて、ヤスリ、小刀で楽しんでいたが、限界があった。シンプル化する前に小刀作業は終わっていたので、耳とうなじの間に透かしがあった。より進めると全体を壊してしまうので、ここまでと心を残して小刀を置いた。

個展が近い。
私は、個展とは四六の蝦蟇が鏡の部屋に入れられたのと同じと思う。彼は己の醜さに汗を垂らすが、私は己の未熟さに・・・。
- 2022/10/27(木) 12:00:27|
- 齋藤美洲(埼玉)
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