こんにちは。永島です。
ようやく少し涼しくなってきましたね。
久々にエアコンのついてない部屋でこのブログを書いています。
ブルーピリオドという漫画を友人の勧めで読んでみました。
いわゆる美大受験マンガなんですけど、非常に面白かった。
完結はしてないので新刊を楽しみに待ちます。
ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス) 山口つばさ ( @amazonJPさんから)

自分の場合美大受験を決めたのは高専の4年のころだったかな。
自分の進路を考えたときにそれまでの工学の分野ではなく美術の分野に
行きたいということで母の知り合いのデザイナーの方から話を聞いて、
結局美大に進学がいいと考え、デッサン教室に通い始めたのでした。
そこで約1年デッサン含め受験対策をしたのですが、形の取り方は褒められたけど
デッサンとしてはなかなかうまくならなかったですね。今ではなんとなくわかるけど、
当時は見たものを描くだけになっていて、そこから脱せていなかったんだと思います。
受験は京都造形と京都精華の立体を受けました。当時京都は地元島根と距離的に
近い印象があったのとレベル的にいいかなといったところで決めました。
結果としては京都造形のみ受かりましたが。京都精華のデッサンの点数が下から
2番目という悲惨な結果となっていました(笑)京都造形もデッサンではなく立体構成で
(しかも学科と合わせて足切りギリギリ)受かったのでまあほんとにギリギリだったん
だと思います。
自分としては自分のやりたいことができれば別に場所はどこでもいいと考えて
いたのですが、京都造形は雰囲気も気に入っていたので結果的によかったです。
補足しておくと、僕がデッサンがうまくならなかったのはデッサン教室の先生が
悪かったわけではなく、単にその手段に魅力を感じていなかったので伸び悩んだ
というところですね。最初期の状態よりは格段にうまくしてもらいました。
僕の場合、中学のころからルアーを作っていて、「木をリューターで彫る」という
”手段”はすでに明確にあり、在学中もずっとそれを中心に自主制作をしていました。
ですが「何を作るのか」という”目的”の部分があいまいで何となく手ごろなアクセサリーの
ようなものを彫っていました。
そんな中、授業の課題で人体塑像がありました。塑像はいわゆる立体のデッサンなので
塑像自体は苦手でしたが、人を作る、とりわけ「女の子の顔を作る」ことに興味を
持ち始めました。
その後、自主製作でゲームのキャラクターを作ったりしてるうちにその
「女の子の顔を作る」ということにハマっていきそれが自分の中での何を作る
のかという”目的”の部分になっていったのです。
.png)
そういう出会いがあったというところでもこの大学に行けてよかったと思います。
受験も大学も何を得るかという面では人それぞれですが、それゆえに自分に合った道を
見つけるというのが重要かなと感じています。
ちなみに僕が通っていた島根県松江市の山崎美術研究所ですが、結構有名大学の
合格実績が高く、これは山崎先生の「その人に合った進路とそれに向かうプロセスを
考えてくれる」という手腕によるところがかなり高いので宣伝しておきます。
- 2018/09/13(木) 19:56:13|
- 永島信也(神奈川)
-
-