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根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。
展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り 「2017年7月/佐野藍(東京)」

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修了制作「サクラオオカミ」と私

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別冊宝島2593 「東京藝大」秘境図鑑
ビジュアルで見る「芸術界の東大」の素顔
宝島社webサイト http://tkj.jp/book/?cd=20259301


ツイッターにて告知をさせて頂きましたが、私のインタビュー記事が掲載されている、
「東京藝大秘境図鑑」が、先月6月に発売致しました。
今回のブログでは、そこでお話しした内容を少し掘り下げ、
私の修了制作の日々で印象的だった出来事を改めて書いてみようと思います。
今回少し長いです。

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ツイッターや、私の活動を見ていてくださっている方はご存知と思いますが、自身の修了制作「サクラオオカミ」

その制作の日々は、とても濃いものでした。

東京藝大彫刻科は、長期休み中、学校での制作が出来ません。
土日も学校は休みで入れないので、実質日数としては、1年間で約140日しか学校では制作できません。

人によっては夏休み中、前回紹介させて頂いた関ヶ原石材様、高木工房様にお世話になり制作することもあるのですが、
私の場合夏休み中は、毎年大森暁生さんの元でのアシスタントの仕事をフルタイムでさせて頂いていたこともあり、
修了制作年といえど、夏休み中は仕事に集中させて頂きたいとはじめから決めていました。

修士2年の年は、とにかくその次の年には大学を出なくてはいけないことが常に頭をよぎっていました。
そこで大きく絡んでくるのが経済的な部分です。
学生最後の年といえど、自分の状況に対してロスの多い行動やお金の使い方をするのがとても怖かったです。
夏休み中、巨大な石を岐阜まで輸送し、またこちらに戻すことや、東京を離れること、
当時の私にとって、時間やお金に対するリスクが大きすぎました。

そうなってくると、後は自分の行動で足りないとされるものを補う他ありませんでした。

夏休み明けの後半戦で、1日の密度を可能な限り上げ、夏の分を取り返せるかどうかは自分次第、
と腹をくくるには夏休みの二ヶ月はとても十分な時間でしたし、
当時の私にとって、それが最善策でした。学校が使える日数で、勝負です。

10月から、後期授業が始まり、制作を再開しました。
後期はじめに自分の前にまた姿を現したオオカミ像は、オオカミというより
ヒグマのような、何枚も余分な皮をかぶった姿で、益々自分を焦らせました。

ただ、このような状況下で決まって自分に訪れるのが、なんとしてでも作り上げたいという気持ちでした。
何故なら、評価のつく世界に対して、自分の精一杯の力を出せないと、何の示準もないまま評価をされることになるからです。
「これは途中だからね、何ともいえないけど、、、」という言葉がはじめに来てしまったら、
私の一年と、頑張って貯めたお金で買った綺麗な大理石と、
周りの支えてくださる方々の気持ちが全て無駄になってしまう気がしたのです。

そのようなプレッシャーを胸に、
今思えば10月以降の自分は、明らかにいつもと違う点が沢山ありました。

どんなに疲れてもあまり眠気が来ない

薄着をしていても寒くない

暗いうちから目がさめる

どんなに食べても体重が増えない、むしろ減る

これは本当に不思議な体の異変でした。常にハイな状態が10月から1月頭まで、続いていたのです。

徐々にそんな異変を感じながら10月を過ごしましたが、唯一きつかったのが、満員電車での通勤です。
家から大学、大学から職場、職場から家の移動はとにかく辛い。

そんな中、同じ石彫をやっている後輩が使っていた大学から徒歩5分ほどのシェアアトリエを、
今の期間は使わないからと言って私に貸してくれることとなったのです!

そのアトリエは根津にあり、デザイン科の方が主に使用されている一軒家のシェアアトリエで、
私はそこにしばらく寝泊まりしたり、制作をできるチャンスを得ました。

本当にその時、神様がいると思いました。
(そのアトリエがなければ、完全にアウトでした)

アトリエを手にした私の日々は、かなり快適になりました。
ただ、初めてそのアトリエに泊まった日に、アクシデントが起こりました。


強烈に寒い


何とその家は、壁に穴が空いていて、夜になるとその隙間風がとてつもなく冷たい。
普通の寝袋で十分と思っていたら、その日は寒さで寝ることができず、
朝の4時半に仕方なく学校に行きシャワーで自分を解凍しました(笑笑)

一度実家に帰り、母にその話をすると、マイナス20度まで使える山用のしっかりした寝袋を貸してくれました!!!!

その寝袋で恐る恐る寝てみた日の暖かさは忘れられません。本当に嘘みたいに暖かいのです。
これはいける!と思い、アトリエでの生活がスタートしました。

大学がある平日には、大体仕事が2.3日入っていて、
学校終わりに大森暁生さんのアトリエに行き、仕事が23時に終わります。
そこから夕飯を食べ根津のアトリエに0時30分に帰る、
その後プリュスウルトラの花影抄さんブースに出させて頂く作品に手を入れたり、
組み立て式のオオカミの尻尾のパーツを作ったりして、
夜中の2時ごろ寝て、朝の5時に起きて大学に行き、
大学のシャワーを浴びて体を洗ったり解凍したりして(笑笑)大学での制作をする。
どんどん体が痩せるので、お昼は節約と、沢山食べれるように、1.5合炊きの炊飯器を持って行き、
1.5合炊いてイナバのカンヅメグリーンカレーとともに食べる。
仕事がない日は大学が閉まった後にその辺のコンセントを使ってまた1.5合お米を炊いて、
再びイナバのカンヅメをお供にご飯を食べて、根津のアトリエに戻り制作をする。

こんな毎日を送っていました。

もちろん定期的に実家に戻って母の美味しいご飯も食べました。
この時ほどご飯の時が嬉しかったことはなかったです。

こんな感じで、根津のアトリエの存在は私を大きく支えてくれました。
そして、もう一つの大きな存在が、修了制作を手伝ってくれた2人、純浦彩さんと、土井彩香さんです。
純浦彩さんは、私が10代の時、予備校の時からの友人で、苦楽を共にした仲でした。
そんな彼女は3浪したのち愛知県芸で学部時代を過ごし、
大学院の受験で藝大彫刻科に私の一つ下の学年に入ってきたのです。
大学院に、入ってきた当初から、「佐野の修了手伝うね」と言ってくれていた彼女に手伝ってもらうこととなったのでした。

一度離れ離れになった友人が、こんな形で自分の制作を手伝ってくれるなんて、思いもよらなかったです。

とにかく純浦彩さんとは付き合いが長く、水入らずの仲。
テンパった私に冷静なアドバイスをくれたり、
時には私の作品なのに彼女の思いも強く、喧嘩したり、(それだけ大切に思っていてくれました)
周りの友人に「純浦、佐野にこき使われてない?」なんて心配されちゃうくらい、
作品を通してがっつり付き合って頂きました。

そしてもう1人、土井彩香さんは、多摩美大にて学部時代を過ごし、
大学院受験で藝大彫刻科に純浦彩さんと同じ学年で入ってきました。
私も彼女も同い年で、同じ石を扱っているのでお互いに何となく知り合いで、
ようやくちゃんとお話しする機会を得たなぁと思っていましたが、
実際にどんな子なのかわからなかったので初めはさぐりさぐり接していました。
けれども話を聞くうちに、とてもハートフルな心の持ち主なことがわかり、
その上とても繊細で、(他からしたら私も繊細なのだとおもうが)彼女が大学に対して気にしたり、
感じていることにとてもとても共感した自分がいました。

そして後期になり、土井ちゃんは「藍ちゃんの作品手伝う!」と言ってくれたのでした。

土井ちゃんは石と接している時間が私よりあるので、いろんな道具や方法を教えてくれました。
本当にびっくりするくらい綺麗に磨けたり、知らない概念を沢山持っていました。
(そういう部分で、他の大学から来た方々と交流するのはとても楽しい)
彼女も純浦彩さん同様、本当に自分のことのように一緒に制作してくれました。
繊細な彼女の、とても頼もしい姉御な部分を知れました。そしてなにより作り終わってから来たメール

「藍ちゃんが一番やで!」

その言葉が、とても嬉しかったです。


アトリエと、そして手伝ってくれた2人の存在、、、
本当にこの場所と、彼女達がいなかったら、私の修了制作は終わらせられなかったと思います。

そんなこんなでお仕事に制作、本当に充実した日々と共に、無事に修了制作を終えたのでした。

今思い返すととても大変だったし、心も常にぐちゃぐちゃだったんですが、
あれだけ充実した日々を学生生活の最後で送れたのは、本当に幸せだったなぁと思います。

そして、その時の経験は今の私の心を支えてくれていますし、
このガッツを与えてくれたのは、周りの皆様やお仕事で見せて頂いた背中なのだと今でも感じています。


しかし、、、
そんな私にも、制作に関してさらに苦しい苦しい試練が待っていました、、、

次回に続く、、、

佐野藍
  1. 2017/07/16(日) 20:06:01|
  2. 佐野 藍(東京)