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根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。
展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り「14年7月/齋藤美洲(埼玉) 」

我家の百日紅が見事に開花した。夏の花の代名詞はひまわりと云う人が多いが
私はこの花を選ぶ。なぜなら、秋風が暑熱を追い払うまで咲き続け、九月にも忍び音
をもらしながら、艶めかしさを想わせる紅色に、うんざりさを感じるからだ。

現代根付史私感

四月、京都清宗根付館に遊び、観る。
前回書いた如く、メランコリックな心情の故にか、他作家の仕事が良く見えた。
「夢」という御題の部屋の競作は興味深く、各作家おのおのの心情、思索、教養が推し量られ長い間楽しめた。
特に若い作家の意気込みを感じられる作品には、現在という時間の真っ只中にそれを体現している若い人
だから出来る、新しい根付の可能性を感じる。表現、技法も変化するのは時の移ろいであろう。

1970年、キンゼイご夫妻が、現代根付を出版すべく来日した。
その時の根付作家たちが、古典のコピーではなくオリジナルを創れ!!という夫妻の言葉に呼応したのが、
現代根付の夜明けであった。その時より既に40年以上を経た。
時代、時代によって作風も表現も変わるのは、時の移ろいであって、
それは当然であるが、根付の定義は崩すことが出来ないことを踏まえ、
大きな意味での変化の様子を述べてみたい。

「社会的背景」
私は、70年代より日本のバブル崩壊までを前期とし、それより現在までを後期としたい。
(インフレ期とデフレ期に見える様に日本全体が一変した如くに見える。)
大英博・ロスカウンティ展が、前期の集大成といえる。
後期は、バブル崩壊による長い間のデフレーション時代と、それに伴う不況の時代である。
前期との間に、将来に対する希望が違う様に思われる。
さらに円高進行がある。1ドル360円の時代に現代根付が始まり、今では100円。
欧米のコレクターにとって4倍の高値になる。
外国の市場が難しくなると同時に、輸入する古典根付が国内で安くなり、
現代根付はそれと競わなくてはならない。

「根付学習背景:徒弟制から教室へ」
若い作家にとっては根付を学ぶ環境も変わった。徒弟制は絶え、教室で学ぶしかない。
何故徒弟制が絶えたのかといえば、弟子に学ばせるための仕事が失せたからにすぎない。
安価根付が中国根付に変わられたこと、象牙の輸出が禁止されたことが原因。
徒弟出身の作品には型があり、先生を言い当てられたが、
教室出身者は自ら型を作らねばならぬ苦労があるだろう。
現在、若い人の中で、徒弟経験のある人や彫金、鋳金の人たちには細部への眼があり、
自己の型を発見した人が数人いる。将来、これらの作家が、根付界をリードしていくと思われる。
幸いにして、今日では学ぶ人たちは多くの参考作品を観ることができる。
東京国立博物館の高円宮コレクション室には前期の秀作がある。
京都清宗根付館では、前後期を通じて多数の作品が見られる。
同館では新人根付も蒐集している。
厳しい選考ながら、根付彫刻の登竜門となっているのは有難いことと感謝している。

「美術的背景:抽象からスーパーリアリズムへ」
作品鑑賞には、その時代、時代の風潮を基にして観る傾向が有る。
前期は戦後から、抽象運動が始まり、日展日本画ですら、抽象表現の作品もあった程だった。
古典根付を評価する時も、技術より造形的本質を論じ、
造形が的を射て居れば技術で見せる作に勝る、そんな想いが根底に有ったと思う。
現在は、スーパーリアリズムが注目される時代。
根付を志す若者たちも、明治以降の作品に憧れを見せる。
よって、技術で見せる可く、彫り込んで作品とするものが多い様に見受けられる。
ある根付愛好家の評に「現代根付は彫り過ぎではないか」とあるが、
是、日本美術特有の"間の美意識"の認識と云うことか。

「精神的社会背景:アナログからデジタルへ」
パソコンは、ここ20年間で一般的になった。
知識を得るという意味では、各自が図書館を持った事に成る。
一枚の写真を得る為に、時間を要したのと比べ、革命的な差である。
よって、人に聞く必要もない故、一人の世界を作り上げる。自信も得る。
アナログ人間には解らぬ人格であり、どこかが違う様に思う。
特に作品評には注意する。
ある社会心理学者が言うに、若い人に論文等の間違いを指摘すると、人格を否定されたと思う様だと。
同感で、私も要注意し、言葉も選ぶ。
孤独とオタクの差を感じる。
孤独の作家は、人の意見を聞く事で己を高めようとし、オタクは自分の世界を侵されるを嫌う。
アナログ人間の僻みでしょうか。
その他、御店(オタナ)と云う買上げ制から委託制へ等々、社会的変化は様々に変化している。
私は保守でもなく、懐古趣味でも無い故、これらの変化に如何に生きるかを考えている。
只、社会は変われども、根付彫刻の根底には、崩してはならない定義、定理が有ると確信する。

私が根付の定義に付いて見解を述べるよりも、
ロダンの正確さに加えマイヨールの温かさをも加味した彫刻家朝倉文夫の
「彫塑余滴 美の成果」よりの一文を持って見ると、良く解ると思う。
骨董の文字を根付と置き換えると面白い。

「触覚の面白さという云うものは、必ずしも丸いが故に良いという分けではないけれども、
ごく原則的にいえば、そこに多分に良さがある。
大体、私が骨董を好む所以のものは、比の触覚の良さが第一である。
手にして、愛玩する、これが、骨董の第一のうれしさである。
それは即ち、触覚にうったえるものを楽しみに鑑る境地の、よろこびである。」
(「彫塑余滴 美の成果」より)

朝倉は、自らの触覚を刺激するもののひとつとして、根付をコレクションした。
如何ですか?根付の定理を言い当てているとは思いませんか?


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暑中お見舞い申し上げます。
先日、美洲さんの工房へおじゃましました。
工房のまわりは、冒頭にあった百日紅の花が覆いかぶさるようにたくさん咲いていて、
日よけになってくれているようでした。窓から漏れる光の方をふと見ると、守宮が!
今年の個展に並んでいた守宮の作品が頭をよぎり、美洲さんの工房は何かに守ら
れているようにも感じました。(スタッフ木塚)
  1. 2014/07/30(水) 22:00:12|
  2. 齋藤美洲(埼玉)