根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り「13年12月/齋藤美洲(埼玉) 」

私の好む、創造的思考の働く十一月を、五月の個展以来、金沢行き、東博での講演
等々で萎えた創作本能を取りもどす可く過ごした。

時は師走。とにかく慌ただしい心持ち。

十一月八日、前回紹介した、塚本先生、前根付研究会々長渡邊氏と私、花影抄にて
根付談議に花を咲かせたのは、私にとっての精神的刺激に成り、脳内に上盾の栄養
を送り込めた。昼三時より七時までの時間のそれは、実に楽しく時を忘れさせた。

塚本先生は良い彫刻とは、前回ミケランジェロの云う坂を転がしても壊れないと
思わせる塊として安定感のあるものと云われたが、その実例としての彼の作品写真
を持参された。画像を見ながらの話は実感として理解しやすい事を学んだ。同時に
根付には同様の安定感が有ると云われる。

私の解釈では、根付は使用目的が有るが故に(どんな細密な技巧作品であろうとも)
使う人(観る人)に取っての第一印象は仕様しても壊れる心配が無いとの安心感を
持たせてこそ、根付彫刻として成立する、との事だろう。

その後、渡邊氏の持参された氏の干支の猪根付を観る。三点の中に私の作品も有った
がそれは別にして、他の二点の古典には、根付の持つ可き第一印象と存在感が歴然と
していたのには、何故か、私が故郷に帰り、見る街並みに覚える安堵感があった。

私の心の根付古里には古典と再確認した。渡邊氏は、コレクションを人に回数多く
見せないのは、目垢が付くのを嫌うからだと云う。私の目に取って持参された古典は
以前にも観たが、毎回、第一観において新鮮に写る。しかも毎日自分はこの作品の良さ
の理解が、まだ不充分と自身を責める。毛彫りの本数までを知る程、回数を重ねても、
次に観る時の第一印象は、旧友と出会った様な新鮮さを受けるだろう。見飽きたと云う
人が居るならば、その人の鑑識眼と感性の浅深を、帰って疑われるだろう。

先生は、スキアチャート(宮殿、寺院等の桂頭に有る、天井を支える為の逆台形
の石の浮彫りに付いて語り、根付彫刻との類似点を指摘する。根付とは一見関係
なく見えるが、逆台形の中に、如何にもリアルなものに見せる造形的工夫がなされ
ており、その発想は根付彫刻の基本原型に通ずると話され、一つ決められた形の
中に表現する事は、根付では使用可能な目的を持った形の中に具象表現すると共通
すると云われる。

私は以下の様に考える。根付彫刻の場合、どんな面白い意匠でも使用可能な形の中に
納めなければ、根付にならないのと一緒である。私は、どんな具象から彫り始めても
使った時帯や着物に引掛からない形、つまりアブストラクトの塊を意識し、その内側
に具象が納まって居なければ根付とは云えないと、くどい様だが、強調したい。
正に制約の中に自由を得ると云う事だ。

近代芸術が始まる以前の個展根付師の何人かは前途の抽象理論を体で理解していた
のでは?と推測する。一例を上げれば、懐玉斉の根付に、抽象を発見する事が出来る。

彼の技量には、目をつぶり、遠い位置から薄目を空けて見ると、必ずしや美しい
抽象形が表れるはずだ。それが見えない時、私は真贋に迷う。

アカデミックな観点で西洋美術を学び、塚本先生の講義を受けている渡邊氏は、
根付における、”見立て”を西洋絵画においても、見出せるとの、和洋の共通する
所を話された。一つを語るのに、一つの周囲から歴史までを踏まえた教養と、即答
する先生との会話は拝聴するばかりだった。また、根付の大きさに関わる話しなど
多くの人の意見を浴する様な話題も多く楽しめた。

議事録の報告では無い故、全てを書けないが、心に残った先生の話。高村光太郎が
サザエを彫刻したが、その形を出すのに苦労した。だがサザエの角(突起)の間に
中心線を求め、螺旋を意識した時に、思う様に出来たと云われた。我田引水である
が、人物であれ動物であれ、作ろうとする時、前途した大きなアブストラクトの塊
を意識し、その次に中心線を引く。持論、頭部、背柱、足先(尾)に至るラインを
意識しての事だ。その時、猛獣使いの骨格に合わせれば、形を出すのは容易である
と、人に云って来た。(私にしたみれば、簡単な理屈があるが理解して実行するの
は難しいらしい。初歩幾何の問題において、定理を踏まえた問題の解答は容易で
あるが、逆に定理を改めて証明するのはかえって難しいのかと考える)

古典に例を求めれば、やはり懐玉斉。彼の単純に見える動物においても、ラインが
見える。故に正面から見た場合l絶対にシンメトリーでは無い。中心線がカーブ
して居る由縁だ。これも真贋を確かめる材料になる。

私は良く”孤独”と”オタク”の違いについて、孤独は自分を確認したく人を求め
オタクは自己を肯定するが故に人を求めない。ここ数か月、僅かの回数であるが、
この様な会話を持てた事で、如何に自分が、オタクに近い孤独であるかが理解でき
た。広い知識の有る人達との談議が、私の心の幅を広げてくれたのが解る。自我を
自分自身で大きくする気持ちで話をすると、何故か気持ちが清々しくなる。オタク
同志の会話は、何かと物議を醸す事が多い。

写真
秋風誘穂波(象牙、べっ甲)  ※根付を楽しむ(日貿出版)より

今年もお世話になりました。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
  1. 2013/12/22(日) 19:27:44|
  2. 齋藤美洲(埼玉)