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根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。
展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り「12年7月/森栄二(葉山)」

ある夜更けのこと、突然、蟹が居間の真ん中に居るのです。

大きさは6cmぐらい。ぬらりと蒼白く半透明の躯はなんだかとても生々しく、
真上にぶらさがった照明(白熱球)に照らされて真っ赤な絨毯の上に小さな影を
落としています。彼は庭の斜面の窪みからさらさらと流れ出ている山の絞り水
の薄暗い穴の中が住家のはずなのに、何を間違って人の家に上がりこんできたのでしょう。

梅雨時の湿気の気持ちよさにふらふらっと彷徨い出て来たのでしょうか。

この家に現れる訪問者はたくさんいます。ゲジゲジ、ムカデ、ゴキブリ、蜘蛛、
蛾、カメムシなどの数え切れないほどの種類の虫達はもちろんのことヤモリなど
はいたるところに住み着いています。又、獣ではハクビシンが侵入してきたこと
がありました。しかも親子で。(屋根裏でしたが)

ただ蟹は何故か全く予想していなっかったのです。庭の穴にいつも居るのですか
らあり得ないことではありませんが、その時までは露ほども予想していなかったのです。

蟹を見つけてから妻が間の抜けたトンキョウな声
 
「カニって怖い?」 

を出すまでの僅かな時間、僕にとって不思議な緊張感と妙に鮮かな色彩、現実味の無い
ぼおっとしたと静けさとが、いつまでもいつまでもその場を覆っているように感じられたのです。

またある夜更けにはホトトギスがよく鳴く日がありました。
僕は犬の散歩に出かけました。道々ふと空に気をやると、静かな夜の山に鳥の鳴く
声が響いています。「トッキョキョカキョク」と聞こえなくもないホトトギスの
鳴き声です。飛びながら鳴いているらしく、山の中をスライドしながら時々声が
聞こえてきます。夜鳴く鳥は梟以外あまり聞いた事がないので、いつもと少し違う
夜の空気を感じつつ、車通りがほとんど無くなったバス道の横断歩道を信号など
全くお構い無く気楽に渡っていると、そこで

「トッキョキョカキョク、トッキョキョカキョク」

がまた辺りに響き渡りました。その時、突然周りの状況がさーっと僕の頭の中に流
れ込んできて、時間がゆっくりと間延びしたような妙な感覚に陥りました。

僕は道路の真ん中でオレンジ色の街灯に照らされて立っている。辺りの住宅やストア
は夜の闇のなかでひっそり静かだ。道は緩い真っ直ぐな下り坂で200m程先から平ら
になっていて街灯のせいで遠くまで伸びた道路が浮かび上がって見えている。
(途中には赤信号が灯っています) 誰一人歩いていない。車一台走っていない。

ただ動いて見えるのはこの辺りには珍しい一軒のカラオケスナックの電光掲示板に
せわしなく流れ続ける自己アピールの文字の列。そこにホトトギスの声が重なりあった
時、「あれ?僕は今、世界にたった一人だ。」こんななんの根拠もない感覚が意識を
包み込んだのです。(犬も一緒なのに… )

気付くと、遠くを人影が歩いているのが見え、坂を下ったあたりの脇道から車が一台
曲がって来て、意識の異変はそこでふっと終わってしまいました。

これらの感覚は僕にとって日々の生活の中で不意に訪れるささやかな愉しみです。
たんなる脳の混乱ですが、得ようと思って得られるものではないのです。

それはこういうものです。

起った事柄が重要というわけではありません。そのエレメントのほとんどはなんの
変哲もないものです。そこで重要なのは、そうした日常のなかで小さな何かのスイ
ッチにより、何故か突然起る目眩にも似た不思議な高揚感が脳(または心)にいつま
でも強い振動を残すとりとめのない意識の余韻そのものなのです。


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2012.7月 森栄二
  1. 2012/07/31(火) 19:00:03|
  2. 森栄二(葉山)