早い、速い、疾い、捷い!

正月二日、仕事場に差し込む陽を写したばかりと思いつつ、もう春の彼岸。
今年の春到来は例年になく目まぐるしく、慌ただしい。こぶし、白木蓮、木瓜、雪柳、水仙、書き出せば数え切れぬ花が、我が散歩の道すがら、春だョと語りかけてくる。高地のお花畑の感がする。
春の花は、皆、心騒ぐが、私は雪柳と白木蓮の白さに思いを寄せる。特に白木蓮は、美人と表現するよりも、容姿の気高さと品の良さに、白衣観世音菩薩を想起する。人は生きて居るのではなく、生かされて居るのですョ、と無言の諭を受ける想いがする。


暇つぶし と 楽しみ
旧友と久しぶりに会う。彼は事業に成功し、申し分のない生活の中にいる。家族も健在だし、行きたい所、食べたい物も、思う様に出来る。どこを旅行した、どのレストランで食べたと語るが、何故にか心底から楽しんだ感がない。「毎日を楽しむ」という教科書通りの行動をすれば心の充実が得られると思っていると思われる。私は云った。君は羨ましい程の毎日だが、そうすれば楽しくなるではなく、楽しいからそうするに変わらないと充実感は得られないョ、と。彼に比べ、ずっと貧乏の私には、やる事があって良いヨナ、とも云われた。過ぎ行く時を、暇をつぶすのか、楽しむのかには大きな差がある。
楽しむという事
前述の話は老人の会話であるが、楽しむ事は老若に関係なく必要と考えられ、根付創作に限定しても同じ事が云える。
人の作品を観ると、始めに感じるのは制作時の作家の心持ちである。作品の発想から意匠、造形、仕上の過程で、思い通り進行したのか、迷いながらなのか、解る気がする。時には作家の生活環境すら見えてくる。そして作品が好もしく思えるものは、巧拙を抜きにして、作家が楽しんで創作した根付であると私は思う。
老根付師 楽しんだ事
老いとは面白いもので、視力、体力、気力等、能力が衰えてくるのに、根付の理想の姿が見えてくる。反比例するのは何故だろう。不思議。
こんな心境の中、仕事入れの引出しから、数点の未完作品に気が付いた。数年前のものだが、視力に自信がなく、“一本毛彫り”を躊躇していた。しかし、今月、私は傘寿。未完のまま彫刻刀を置く事になると一念発起。やるのは今でしょ!と挑戦。
一本毛彫りとは、馬や唐獅子等の、尾やたてがみの表現であり、髪の根本から先端に至るまで一本の線を彫り重ねる技法で、私は他の毛彫りに比べ、一番難しいと考える。
また、老人の眼には、象牙の反射が彫り跡を消して見えない故、ライトの角度を変えて確認する等、苦労した。
若い頃なら、根付を材料から仕上げるまでと同等の時間を掛けた。眼はショボショボ、痛む両手を揉みながらの毎日だった。脳裏に有る理想には至らぬが、作品として通るであろう所までは来た。

一月末から二月のことであったが、この間の充実した心理は何物にも代え難いものだった。老人の能力の限界と思われるが、投げ出さなかったのは、彫刻する事が面白く、楽しかった為だろう。
辛い事も、克服するには心底楽しさが有ればこそと思われる。
春陽の候、日々是絶刀
- 2023/04/20(木) 17:44:18|
- 齋藤美洲(埼玉)
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謹賀新年 祈念 本年亦皆様御多幸
季節の挨拶は、お寒う御座居ます。
冬将軍
NHKラジオの教養講座で、1回30分、10週にわたり「ロシア文学と戦争」を聞く。ウクライナへのロシア軍侵攻に対しての企画だろう。
トルストイの「戦争と平和」から始まり、ナチスドイツ戦、第二次世界大戦後のソ連邦に至る、様々な文学談義を興味深く聞いた。
以下、私的感想だが、ロシア史における支配者は皇帝と貴族、富豪商人の一握りに限られる。一般庶民、農民の生命などは、支配階級から見れば物であった。トルストイの時代から今に至るまで、貴族軍人とその部下から成る正規軍は温存。徴収兵を最前線に立たせ、勝機に至ると正規軍の手で勝利し、貴族軍人は英雄になる。
1932~34年のウクライナでのホロドモールと呼ばれる飢餓では、農民1,100万人、強制収容所では350万人の死亡者を出した。これはソ連が、近代化の為に穀物を外貨に変えた為だという。これも支配者の命令によるのは帝政と変わりはない。
ロシア戦史では、冬将軍が敵を凍えさせ、兵糧を断ってくれて勝ちを得た。
この成功体験の故にか、今回はウクライナのインフラを破壊し、国民全部を凍えさせて戦意を喪失させる作戦に出た。(日本の場合は77年前、火に敗れた。)評論家の人道論も、国際法違反もへったくれもない、これが人のする戦争だ。厳寒の中、凍える庶民と前線の兵士はどうなるのか。
私は弱い者に心を寄せる。散歩中に見る福寿草の蕾・・・。
「現代根付」初期の作家活動と古典との繋がり、演者自己紹介
今月の根付研究会にて、上記の題で話すことになった。この題を話せる素養を持ち合わせているかを聞いて頂き、本題に入ることにした。その下書き。
私は象牙彫刻の家系で四代目になる。工房内での伝聞は、遠く1863年、桜田門外の変から始まる。当時、大老暗殺に居合わせたある御家人が、現場に加勢しては命がない。番所に通報も武士として不面目。だんまりを決め込み、その後明治になって初代美洲工房の象牙彫刻師となり、皆に事件について語ったという。
曾祖父美洲は明治三十六年、谷中・延命院の彫刀供養碑の裏側に名が刻まれている事から、その時には一家を成していたと思われる。上田令𠮷著「根附の研究」作家欄に、美洲の名と落款がある事は、私の誇りだった。
祖父は、彫刻を学ぶと共に、商才があった故にか工房を広げ、一時は30名程の専属作家を抱えていた。父も戦前の象牙組合の副会長だったと聞くが、創作に専念すれば名を残せたかも。明治、大正、戦前昭和の面白伝聞は数多くある。私が中村雅俊先生に親しくして頂いたのも、祖父が先生の御父上空哉氏と吞み友達であった事から来ている。
戦後、「りんごの唄」から私の記憶が始まる。復員した作家、新弟子たちに囲まれ育ち、子供の頃より色々な作品を観て育った。
戦争中、贅沢品禁止の対象に象牙も入った為、父は一時骨董商となったが、その縁での出入りも多く、古典根付にも触れた。光廣のあひるを手にした時のギョッとする様な感激は今も忘れない。
国立近代美術館開設よりは、絵画教室仲間等の遊び場となり、ロダン、ブリューゲル、印象派絵画に親しんだ。バルザック像、弓を引くヘクトーがお気に入りだった。同時に、東博のNetsuke - A Miniature Art of Japan – を愛読し作品と作家名を知った。(後に郷コレクションと知る。)作家の方々との、どれが秀作かとの論議も面白かった。
高校時代から進学の為、デッサン、彫塑を学び、雑誌、美術手帳が愛読書だった。父の年齢を考え、この道に入ったが、その予感が当たったのか、一年半で父は倒れた。
以後、独学であったが、幸いにも、外国人の根付愛好家、骨董商に会い、古典根付の何百ものコピー仕事で、根付とは何かを学ぶ事も出来た。
仕事に坐り込んでから、10年を経た時、キンゼイ夫妻と出会う事になり、「現代根付」の名称が誕生する。
以上、講演枕の下書きだが、さてどう話すのか?
駄文、読まれた方はお疲れ様。

※「現代根付」初期の作家活動と古典との繋がり」について、日本根付研究会で講演をされた美洲さんのサポートで、
スタッフもスライド資料の準備などお手伝いして、さまざま勉強になりました。
- 2023/01/27(金) 10:00:14|
- 齋藤美洲(埼玉)
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79歳の個展は、私の精神に大きな良き変化を与えられ、次のステップの下準備に没頭している内に、カレンダーは12月に変わっていた。
その間、名知らずの瓜が実をつけ、玄関先の庭木が紅葉となって、季節の移ろいを知らせてくれた。

個展 個展とは、作家自身が己を見つめる為のものであり、自身の欠点、美点を観る人の感想等も加味して、客観視して、明日の創作の糧にするものと以前に書いた。売ることを目的とするならば、個展とは別の名称になるだろう。
告白すると今回の目的は、私自身で、仕事の小刀を折る時か否かを見極めることであった。
その結果、小刀を持ち続ける事で、これからの生き様に意義を見い出せた故、気楽な気持でペンを運べる。
今思うに個展前には、年齢の事、現在の仕事の実力の事、これからの生き方の事、等々全てがネガティブな考えに包まれていた。ポジティブ思考になった現在、何故あの様な考えに陥っていたのか、不思議な思いがする。
自己分析してみると、私のバイオリズムは10年周期の様で、10の位が変わる時期に最低になり、ネガティブ思考になる。過去を振り返ると、30代後半から10年ごとに落ち込みがあったと実感している。
コロナ禍における作家の心理 この事については、私だけでなく他分野の作家を含めて、共通項があると思われる故述べておきたい。毎年見ている絵画展でも、彫刻展でも、コロナ流行の自粛に入ってからは、気迫、気鋭に満ちた作品が見られなくなったと感じるのは、私だけだろうか?
作家の多くは、その作業が孤独な故に、人を求め会話する。自分の思いを人にぶちまけ、逆に人のそれを聞く。反論の談議に時をも忘れる。会話によって、自分を客観視でき、相手の発言を尊重して参考にする。私の会う作家は、皆さん言いたい何かを持っている。それを聞くのを、私の楽しみとしている。自粛によって会話の機会を失った作家は、自ずと自分との対話になる。他の人の反論がない故に、ネガティブな思考に傾斜して、悪くすると鬱的な気分に陥ってしまう。創作、生活、健康等、深く考え出すとネガティブな思考から抜け出せなくなり、私から見てアレ?と思わせる人に会った事もある。
私も、上記の様な精神状態で個展に臨んだ。案内状も鬱的思考から最低限しか出さなかったが、有難いことにご案内をお送りした方以外にもご来廊いただけた。肩肘張らず会話出来る楽しさを、日々噛み締めさせていただいた。初日から、あまりお茶を引く事もなく、会話しながらの時が過ぎた。最終日、帰りの電車で一人になった時の“爽快感”は、忘れる事はないだろう。鬱からの解放だ。これからの人生に、存在意義を持てた。来廊者に感謝するのみ。
脳は生存の為に孤独を避ける、と学者は云う。コロナの閉塞から、早く世間が解放されますように。
鬱から脱し、躁を楽しみ、一気に書いた乱文ご容赦。躁によるハシャギ過ぎ、これからは気をつけます。
そんなハイテンションの気分でいる中、現代根付という呼び名が出始めて約50年。前半期は過去になりつつあり、若い人にとっては昔話。その前半期について講演してほしいとの依頼を受けた。そこで思いついたのだが、このブログでもこれから先は、現在と比較しながら昔の話を書きたく思います。老人の与太話より面白いかと。
良いお年を・・・。
- 2022/12/18(日) 19:23:56|
- 齋藤美洲(埼玉)
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齋藤美洲根付彫刻展 シンプルへの序章おかげさまで会期を無事終了致しました。交流してくださった皆様、ご助力くださいました皆様、大変有難う御座いました。

会場に来られる前にインタビューの動画を見てから来てくださった方々もあり、そこから展示会場でのお話しにつながったりして、ありがたく思いました。(インタビューを制作した側としては、もっとわかりやすく!という反省もあり、勉強になりました。)
YouTube インタビュー動画https://www.youtube.com/watch?v=JHlvmyIPJXg根付造形の特質や成り立ち、西洋彫刻の理、抽象表現に向かう考え方、また逆にそのような理屈ではない美しさへの感受性についてなど、会期中は御来場いただいた方々といくつかの大事なやりとりが出来たように思います。
お客様のいない時には美洲さんと画集のページをめくってお話しもしました。古美術のカタログやロダン、ポンポン、現代彫刻家の作品集まで行きつ戻りつしながらの一週間でした。
会期中印象的だった御来場の方とのやりとり。まず、会期序盤に御来場くださった現代根付作家との会話から
現代根付と美術界の関係性について「根付は独立していたほうが良いのではないか?大きな美術の世界では埋没してしまうのでは?」というような意味合い(だと思う)のお言葉があり、その距離感というか立ち位置については、長い間のテーマなのですが難しく、もっと良く考えなければとあらためて受け止める機会となりました。
次に、
「月刊美術」2015年12月号に、美洲根付の評論を掲載してくださった美術史家の塚本博さんがお訪ねくださり、抽象と具象の表現の幅…揺らぎ…東洋(日本)における抽象の捉え方について再び美洲さんを交えてお話しをお聞き出来ました。この先の道標としてのお言葉をいただいたように思えました。
会期終盤に御来場くださった現代根付作家と美洲さんの対話が印象的でした。
その中で取り上げられた2点、「兎のシンプル造形の習作」と「デザイン化された鷺」。
以下は、会話からの覚え書き的なものです。
・どちらもシンプルに向かう図だがアプローチが異なっている。
・兎は一旦写実的な作業をした後に表面を擦り落としているのに対して、鷺は最初からデザインが頭で組み立てられている。
・「兎」について、人間の眼は微細なものまで情報として読みとるので、表面を擦り落とすまでの造形を探った痕跡を読み取っていて、そこが重要である。
・兎の細部を擦り落とされてシンプルに向かう造形は、古い根付が使われて表面が摩耗した「慣れ」のある状態に近いとも言える。摩耗してしまった古い根付でも素晴らしいものがあり、その素晴らしさとは何であろうか。削ぎ落とされた後に残っている造形の本質(動きや構造)。
以上のような会話の中で、シンプルさに帰結していく表現の意味合いを考えて押し進めることの可能性について美洲さんと御来場の作家さんと会場で話し合いました。

今回、「習作」とタイトルに付記された兎の根付を発表するにあたっては、根付作家として美洲さんも思い切りが必要だったと想像します。この2年間ほどの間に、美洲さんが手探りしてきた造形から始まる新しい挑戦を今後もサポートしていきたいと思っています。
箱書きをする美洲さん
- 2022/11/09(水) 10:40:50|
- 齋藤美洲(埼玉)
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齋藤美洲 根付彫刻新作展 シンプルへの序章
2022年11月1日[火]~6日[日] ※会期中無休
13:00〜19:00(最終日〜18:00まで)
●作家在廊日:11月1日、2日、3日、5日、6日【ギャラリーより】現代根付運動の初期に抽象表現の根付彫刻作品を発表し、「現代根付」を象徴する作家となった美洲が、
この数年の模索の中で再び抽象表現へ向き合おうとする中で行き着きつつあるのは、
写実の先にあるシンプルに削ぎ落された形の本質のようだ。
模索の軌跡が垣間見られる新作の根付彫刻12点が並ぶ。
【作家の言葉 齋藤美洲】 本展に向けての創作中、深く思うところがあった。
昔、根付彫刻を志したときの、感動の原点を探ることが、これからの生き方だと。
写実を突き詰め削ぎ落としたシンプルが、美を深める。
ここからが、その序章です。
【インタビュー動画公開中】
再び(三度?)抽象表現の根付彫刻に向かわせようとするギャラリストと作家の押し問答。
わかるような、わからないような感じですが、興味を持っていただけましたら幸いです。
YouTube動画 根付師 齋藤美洲インタビュー(シンプルへの序章)https://www.youtube.com/watch?v=JHlvmyIPJXg※出品作品のご紹介 は、このページを下に送っていただき直下の記事からご覧ください。全12作品を4つの記事に分けてご紹介しております。
- 2022/11/02(水) 21:03:05|
- 齋藤美洲(埼玉)
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