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根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。
展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り「2018年9月/齋藤美洲(埼玉)」

老根付師 徒然草
  
本日、秋の彼岸に入る。ようやく酷暑も去り、暑さ嫌いの身にとって自分が取り戻せそうだ。
空の高さの清々しさに、明日を期待。

勿怪の幸い展
花影抄の作家の集う展示は面白かった。同一のお題に各自自分の表現をもって、
他者と比較する機会は少ないし、大切なことだ。普段は孤独に彫刻し、自分の世界にいるが、
他者の作品にじかに接することで自分の思考を客観視出来る。発想、技量も比較によって
自分の地位のランク付けが出来、向上への糧になる。

初期の根付研究会風景を思い起こさせた。経験の序列を排しての作品互評は全員の
利益になった。隔月の例会が十五年も続いたことも懐かしい。今回のオープニングの懇談で
昔の雰囲気を感じ、作家のために次回を期待する。

後生畏るべし
後生とは、後輩の意。後輩は努力によっていずれ自分を超えるのだから、畏敬しても侮ってはいけない。
早く作家の皆さん、私を越えてほしい。今回は私も多くを得た故に。
早めに退出する時の私の言葉であるが、最後に麒麟も老いれば駄馬にも劣るとも加えた。

私の彫刻の原点
佐野藍さんの週末在廊の展示を観た。両手で抱えて見られる大きさで、
根付同様の鑑賞が出来て、親しみを持って楽しんだ。
佐野さんの言うには、無地の材には自分の造形を主張して表現し、模様のある材には
その面白さを見せるべく形づくると。
自然素材そのものをオブジェとして、その抽象形に感情移入させたイメージを具現化した
作品には、橋本平八の“牛”等のオブジェ作品に通ずるものがあると感じた。
加えて橋本平八は伊勢根付師の出身である事を思うと、鹿角等自然形を生かす素材に
対しての私の彫刻原点との共通性も感じさせてくれた。

鹿角
前記したが、鹿角等素材に自由表現出来ないものには、素材自体の形をオブジェとし、
感情移入させた表現を例にとる。

鹿角は幹と枝部に大別される。この様な材の中に何をイメージするかは、
根付師の作りたい何かに他ならない。
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久しぶりに猪を彫ってみた。表現の説明はあえてしない。
見る方々の感じ方が正しいと思う故。
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  1. 2018/09/28(金) 11:18:51|
  2. 齋藤美洲(埼玉)

作家便り「2018年8月/齋藤美洲(埼玉)」

老根付師の徒然草  長月 (九月の勿怪展にちなんで)

酷暑  40℃を超えるとの報を聞くにつけ驚きよりも「今日もまたか」の
感の強い今夏も、暦は立秋を過ぎた。耳を傾けると一匹のコオロギの声に
季節は移ろうものと安堵。ただ、秋の気配はなし。乞うご自愛。

 アクシデント。   熊谷で41.1℃と聞いた日の昼下り、何故かフラリと感じ
室温を見ると33℃。わが仕事場はプレハブ故にこうなるのかと思い過ごしたが、
35℃の気温でも30℃にしかならない。エアコンを最低にセットして変わらず。
「壊れたか!」と気付きギョッ!!とする。

盆休暇が近い今、頼んでもいつ工事が来るか?今夏は開店休業かと思われた。
一週間頑張って仕事をしていた時、外気温より室温が下がっているのは故障では
なく整備不良なのかと一縷の望みを得る。梅雨明けに洗浄スプレーをしたが、
気休めであったらしい。フィルターの奥の冷却板をよく見て驚いた。

長年の材料の微粒と煙草のヤニで固まり、室内空気が排気されていない。
スプレー缶三本とブラシを用いて洗浄。やっと排気される様に回復。
セッティング温度まで下がる。ただ、8/9の台風の日故、猛暑で試していないため
只今酷暑待ち。リューター等使用する根付師諸氏には、エアコン整備は念入りに。

一頭でも十二支
花影抄 勿怪の幸い展に出品すべく主題を考えていた。
九尾の狐も物の怪なら、根付らしく多少のユーモアの主題としてこれを選んだ。

浮世絵に一頭で十二支全てを入れ込んだ図がある。子の頭から描き始め
たのであろうと推測する。順に、丑の角、寅の斑、卯の耳、辰の腹と火炎、
巳の尾先の顔、午のたてがみ、申の手、酉のトサカ、戌の足、ときて最後に
亥の特徴はと考えた故か、逆立つ毛並みときた。寅の斑と逆立つ毛並みを
同時に表現するのは困難と思われ(原画でも明確な面白さは出ていない)
私流にデザインを変えた。

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巳の胴体部分を、子の尾にし、顔を亥にした。これで根付的ユーモラスになった。
四足で地面に立っていた原画に対して、擬人化して立図にすれば、テーマは
同じでも私のオリジナルとしてよいと思うし、古今の根付の内でも唯一と云えるだろう。

オリジナリティ あえて作品の説明をくどく前述したのは、作家は自然や他作品に
インプレッション(感動を持って心に刻まれるもの)を受け、表現しようとする。
その時、アイディアを得たものに近づける様なデッサンをするのは作意がないと云える。
インプレッションを受けたことに対して、何故にと、あらゆる角度から分析した後に
表現できたものが、オリジナリティと云ってよいものと考える。
  1. 2018/08/16(木) 20:10:50|
  2. 齋藤美洲(埼玉)

作家便り2018年7月(8月) 齋藤美洲

老根付師  葉月

文月と書きたかったが、梅雨が六月に明け、今年はその風情がない酷暑。
只今、新暦盆の最中。ブログの時間差解消のため葉月とした。

例年は暑さに対する怨み節を書くが、今年はそれどころではない。
西日本の惨状を見るに明日は我が身と知る。夏前の暴れ梅雨は、以前は
局地的被害であったが、3年前の鬼怒川、去年の熊本、そして今年と、50年に一度が続く。
地球温暖化の故かパターンは同じ。前線の停滞と台風による湿気の流れ込みによる。
コンピューターによる気象予報で被害が予測されても、国、自治体とも怖さの想像力が
ないのか、対応が遅れる。被害が出てからの対処。東京に先日の高知の雨量が降ると、
上野の西郷像からは下町全域が水に浸かっているのが見えるという。猛暑が過ぎて
秋雨前線と台風を想うとゾッ!とするのは私だけだろうか?全国無事を祈る。


現代根付史最縮尺版
6月に京都清宗根付館、木下コレクション、最新本出版記念パーティが催された。
最長老から新進根付師たちまで一同に会した。中には幻とされた寛玉氏も出席し、
若者たちに挨拶されていた。見渡すに、出席者の顔と作品が分からない若い作家
たちが多数であった。それだけの時が過ぎたのだろう。現代根付初期の事もよく聞
かれるのもその一例。ザックリと歴史を3段階に切り分ける。

一 キンゼイ御夫妻来日より20世紀末まで
 海外コレクターによって、多くの古典の中で育てられ、地位も確立。円高により
市場が厳しくなる。国内では高円宮コレクション、大英博展カタログを参照されたし。

二 バブル崩壊後より京都清宗根付館出現まで
社会システムも変わり、商社、作家も苦労した時。デパート展、少数の商社の努力に
命脈を保ち、価格も他の美術界の様には下落しなかったのに感謝。

三 京都清宗根付館開館以後
木下コレクションの蒐集数は夥しく、現代根付界は一息つけたことに感謝。
多くの新人を輩出させ、作品が永く保存されることに意義がある。現在の
現代根付界は皆さん御存じ、進行形である。出版記念パーティにての感想です。

 
私の推敲  九尾

九尾の狐に挑んでみた。

参考に多くの平面作品を観た。このモチーフ、絵画はいいなァと思う。
キャンバス上は自由自在だからだ。彫刻となると難しいのだろう。目を引く作品は少ない。まして根付では・・・。

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御覧の通りのいつもの鹿角。
この中に九本の尾を如何に自由に表現し、根付である事に、推敲すること、暫し。

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こないなりました。(暑っ苦しい)
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啓上 暑中御見舞
  1. 2018/07/28(土) 18:10:49|
  2. 齋藤美洲(埼玉)

作家便り2018年6月 齋藤美洲

 老根付師徒然草    水無月

 雨ひたすらに紫陽花に降りそそぎ、梅雨さなか鬱々として日が暮れる。
上田秋成の雨月物語など読み楽しむに最適な季節・・・。この様な書き出しが若い人に如何に古臭く感じられるのかは、私自身も良く解っている。
 IT普及を境にする時代差だろう。時代々々の流行は変わるものだし、価値観も変わるのは当然のことで、それを理解しなければ年寄といえども昨今にはついていけないことは身に沁みている。
 若い人の思考回路は年寄と違うのも良く解るが、根付作品を観て何かの差異があることが気になっていた。根付論、技術論に基いたものではない。作品から受ける印象である。根付になっているし技術的にも良く出来ているが、何故かゾクッと来るものがない。

 佐野藍氏との会話
 前述の解答を考えているとき、佐野藍彫刻展(Gallery花影抄)を観た。
石彫は私の憧れの一つであり、彼女の個性ある作品を楽しんだ。会話中、モチーフは子供の頃母上に見せられた古代オリエント彫刻に由来すると聞いた。以来、脳裏にそのインプレッション(感動を持った印象)を温めてきたと知る。道理でアイディアはオリエントからだが、彼女のオリジナルとなっている故の魅力がある。
 これが与えられた解答であった。推敲の故事があるが、作品を「ああしようか?こうしようか?」とアイディアを廻らすことによって練磨され、よりオリジナリティが高まるということか。
 我々の時代はモチーフの資料は書籍からで、より良き本を捜し出すのにも運不運が分かれた。良き資料を得た者が勝ちであった。それを求めている間にもモチーフへの興味と推敲が増したと思われる。資料を得た感動は大きい。
 今はクリックひとつで知識も画像も得られる故に、インプレッションも推敲も浅くなるのかもしれない。
 以上、愚考するが、反論を期待。

 老根付師の推敲
 只今、「鳥獣戯画的豊年踊り」を連作中であるが、一作品の制作が一段落すると、反省と次作はどうあるべきかと推敲する。
 未完であるが例をお見せする。動物は違うが、トルソー部分に違う表現を試みた。

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 写真では詳細がよく見えないのはお許し願う。両作品のトルソの全体はデフォルメしているが、「兎」は骨格を意識してからの肉付けはアカデミックな写実に重きを置いた。私の最高のトルソと尊敬するキュレネのビーナス等も参考資料となった。「狐」は兎を観ていてその表現とは違ったものはないかと探した。結果、骨格意識は同じだが肉付けをシンプルにして浮世絵的に筋肉を強調しないようにした。
 この二点、どちらが良いかは見る人の判断であるが、出来た仕事を観てより理想的なものを捜すのが私の推敲で、創作方法の一つである。
 創りたいモチーフに対して、画像のみを見て作ったものはコピーであり、創りたいものに如何なるインプレッションを持ったのかを自問し、脳内に理想を作り上げてから表現したものが作品と思う。

 ジジイの放談でした。
  1. 2018/06/26(火) 20:46:02|
  2. 齋藤美洲(埼玉)

作家便り2018年5月 齋藤美洲

老根付師の徒然草   巻之壱

古人の曰く、「人生は 破れ扉の隙間に 白馬が走り去る」が如しと有る。
その言を噛み締めつつ、私も後期高齢者の仲間入り。「これからどう生きて行くの?」
「断捨離やってます?」「終活はやってます?」等々の質問や会話で、遊ぼうと人に
年齢を告げても、「あっそう、それが何?」との反応ばかり。意外性大なる気抜け。
まだまだ、普通人と教えられました。

考えてみれば、私の存在証明は根付彫刻の行動の中にあり、現在もそれを楽しんでいる
事実に対して、与えられた人生と感謝すべきだろう。
これからの私の生きる楽しみは、子供の頃より根付の魅力に取りつかれて以来様々な
試みを表現してきたが、その本質の美意識を探ることだろう。それが今だに鮮明でない故に面白い。

その一例
只今、鳥獣戯画的に擬人化した動物を躍らせて、私自身を探っている。
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生きている喜びを表せられたらとのテーマだ。
制作プロセスを写真に撮るのも習慣付けたいとも思っている。
その中の一つに面白い意見が聞けた。見る人に根付と言わずに感想を求めると、
必ず大きな作品として見て意見を言う。心の中で“ニヤリ”とする気分だ。

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私の考える根付定理の一つとして、根付は造形彫刻であるが故に他の彫刻作品同様、
大小問わずに質量感が必要だ。根付にも質量感あるオブジェ性が備わっていれば、
写真背景が同じであれば、作品の大小は見る人の感情移入によるところとなる。
江戸期の根付でも、質量感の備わっている作品は技術以上に名品であると評価され、
根付であることも忘れさせる造形美がある。
自分の作品も、手のひら以外から観察すると意外な収穫があるものだ。
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背負う子に教えられ
私たちの仕事は一日中室内で会話も少ない毎日であり、好きな作業とはいえストレスがたまる。
すると閃き的な発想は生まれない。解消には老若問わず仕事を忘れる趣味を持つことが必要。
私は久しく釣りをやめていた故、近頃ストレスが激しかった。
孫に誘われボーリングに行ったところ、ハマった。釣りの様に時間も要せず手軽で、仕事を忘れ
させてくれる。ただ、初心者故に人の目が恥ずかしいが、これも修業。上手な人がいたら教えてください。

孫に感謝。

老根付師、ボケ防止の為、ブログを続けようと思います。つまらなくても失礼。
  1. 2018/06/07(木) 10:27:31|
  2. 齋藤美洲(埼玉)
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