未来の付喪神たち -根付作家それぞれのカタチ-
2021年7月17日[土]〜25日[日]

楽虫出品作品のご紹介です。





水牛角の半透明な素材感を活かしています。
作品名:ねこじゃらしのねこ
水牛角、鹿角 5.2×3.4×2.8cm
▼作家のことば
長い間、たくさんの猫たちの相手をしてぼろぼろになった猫じゃらしが、付喪神となった。
猫たちの気が集まったそれは、ぼんやりと猫の形をしている。
ゆるゆると姿が定まらないが、楽しく遊んできた猫たちの気が集まったせいなのか、
どこか楽しげに見える。
- 2021/07/17(土) 19:36:43|
- 楽虫(東京)
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本日、7/30 BS-TBS月曜夜10時「謎解き!江戸のススメ」に根付師の楽虫さんが出演するとのこと。
今回の番組テーマは、
『江戸の「工芸」日用品に惜しげもなく腕の限りを尽くした職人たち。
世界をも驚かせた技の極致とは!』と番組宣伝にありました。
是非、御覧下さいませ。
※「謎解き!江戸のススメ」webサイトは、こちら!予告編に、楽虫さんの仔犬の根付が、チラッとでていました。
- 2012/07/30(月) 13:21:31|
- 楽虫(東京)
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楽虫「獣王」※楽虫・ブログ
「根付生活」より転載

根付「獣王」/セイウチ牙
獅子は古根付では最もポピュラーと言っても良い意匠です。
本当に様々な顔、体格、格好の獅子を見ることが出来ます。
本当に、昔の男はどんだけ獅子好きだったのよ?
と思うくらいの獅子の根付が残ってます。
ある程度の根付コレクションを持っていたら、
獅子が必ず含まれていると言っても過言じゃないと思います。
私も獅子の古根付は大好きなんですが、
なんというか好きで思い入れがあるだけに簡単に作れず、
今までひとつも作ってませんでした。
今回お客様の注文もあって初めて獅子を作ってみました。
どうせ作るなら、獅子の中の獅子を作るつもりで、
堂々と、ボリュームを落としすぎて貧相にならぬよう気を付けました。
そちらのほうはまあまあ上手くいきました。
その他に、ちょっと色々な実験というか、
今まで考え、練習していた事を初めて実戦で使ってみました。
そちらのほうは初めてということもあって、
まだまだ発展途上ですが「先に間違いなくある」と確信が出来たので少し収穫です。
楽虫
- 2010/06/08(火) 23:37:55|
- 楽虫(東京)
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「連載:古典根付師を想う 第四回 藻己」楽虫/作家便り10月
「画像資料提供:提物屋/撮影:杉本雅実」
藻己という根付師がいます。
その名前は名工中の名工として、根付を知る人全てにあまねく名前が知れ渡っている
名人です。非常に繊細で緻密な、また写実的な作風で知られる藻一派の中でも飛びぬ
けた存在であり、また明治十二年~昭和十八年という年代のせいもあり、写真やエピ
ソードも残されています。
実は私は、本でしか藻己の作品を見てなかった頃は、正直あまり好きじゃありません
でした。とても細かいのはわかるけど、面白味もないし「だからどうした」という感
じで、いまいちピンとこなかったんですよね。
皆さん、出来れば根付は実物を見ましょう。可能であれば手にとって。
後日、本歌を手に取る機会に恵まれた時、非常に衝撃を受けました。本で見ていたもの
とはあまりにも存在感が違いました。安っぽい言い方になるかもしれませんが、「オー
ラを放っていた」という感じ、まるでその根付の回りが、異質で凝縮された空間になっ
た感じ、そのあまりの出来栄えに絶句し、「この彫り物はいったい何なのだ、これは
どうしたことか」と動揺したのを覚えています。その頃には私も自分で根付を作って
いましたから、どういったことがなされるとその根付が出来上がるのかという事に思
いが及び、頭がクラクラとしました。
前述した通り、藻己の作風として「写実的」という形容詞がよく使われますが、実物
はそうではありませんでした。不思議な物で、普段目にしている籠とか栗とか何でも
ないような物、それを藻己が己の頭と手を使って練り上げて完成させた根付は、写実
を超えて何か精神性のようなものが感じられるような作品になっています。根付でそ
んな事を感じたのは初めてでしたし、それまでは、技術を高めていくといっても、例
えば毛彫りが細かくなったり、仕上げが綺麗になったり・・・といった即物的な事し
か頭になかったのです。技術を高めてある段階を越えてはじめて、表現できるこのよ
うな世界もあるのだなと認識させられました。
あの高村光雲が藻己の栗の根付を愛蔵していたという話も、頷けます。シンプルな栗
だからこそ光雲は藻己の並々ならぬ力量を感じたのでしょう。上手な人は、シンプル
な題材の物を彫ってもやはり明らかに違います。
よく彫れている根付を「刀(とう)がよく切れている」と言うのですが、藻己の根付
を見ると、その状態がわかります。それまでは「刀が切れている」と言われても、ど
ういう状態かいまひとつわからなかったのですが、「なるほど刀が切れている状態と
はこういうことか!」と初めて明確に、大いなる説得力を持って納得しました。木の
根付でここまで細密な彫刻は、彫刻刀がものすごく切れないと出来ず、そのシャープ
さは、磨きもかけず、刀で最後まで仕上げているのではないかと思わせるほどです。
藻己を語るときに必ず上がるエピソードで、「彫っている時間より刀を研いでいる時
間のほうが長かった」というものがあります。そんな馬鹿なと思いますが、藻己の根
付を見るとあながち誇張とも思えなくなってきます。
今、藻己の根付を好きかと聞かれれば、実はどう答えるか迷います。好きとか嫌いと
かじゃなく、凄い、素晴らしい、間違いなく誰もが認める一級品であろうという感じ
はありますが。藻己の根付を見ていると、その緻密な彫り、技の冴えのひとつひとつ
を見逃すまいと目を凝らし、ずっと見てしまうので、疲れてしまうんですよね。その
ストイックで完璧を求める製作姿勢が根付からひしひしと感じられ、こちらも襟を正
して鑑賞・・・そう、鑑賞という言葉が合ってます。個人的には、あくまで好みの問
題として、もう少し気の抜けるところもあり手で気軽に転がせる、愛着の湧く根付が
好きです。藻己の根付に限りませんが、あまりに隙が無く、神業的な仕上がりの根付
は、勿体なくて実用出来ず鑑賞物にならざるをえません。それはそれでもちろん素晴
らしい事だとは思いますが、根付に何を求めるのか、というのは人それぞれ違うのか
もしれません。
楽虫
- 2009/10/02(金) 18:05:53|
- 楽虫(東京)
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