根津の根付屋 & Gallery 花影抄 blog

東京・根津にある主に現代根付、立体作品をご紹介しています、Gallery花影抄のblogです。展覧会や取扱作家情報などを発信しています。

作家便り「2017年7月 森謙次 /河鍋暁斎記念美術館のニュースNo363号に掲載」

今年の4月に高知市のギャラリーで"河鍋暁斎と僕"という根付と帯留の個展をしたのですが、

その時に出品していた作品等の事を河鍋暁斎記念美術館のニュースNo363号に掲載してもらいました!

根付作家として活動していく中で、
江戸・明治時代の図案集を集めていく中で河鍋暁斎の"暁斎鈍画"を入手して、その面白さに引き込まれました。
そして暁斎の事を知れば知る程、好きになり、
高知に河鍋暁斎展が巡回すると知った時は無理矢理にでも関わりたいが為にこういう個展をしました。

良い思い出となり、感謝しております!
有難う御座いました。

森謙次

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河鍋暁斎記念美術館-webサイトはこちらです。
  1. 2017/07/24(月) 12:18:44|
  2. 森謙次(高知)

作家便り/ 「2017年7月/道甫(千葉)」 〜道甫 講師してくるの巻〜

拝啓、盛夏の候、汗が滝の様に噴き出す頃、
近況のご報告の為、筆を執った次第で御座います。

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私は、母校である大阪芸術大学の根付コンペティションの授賞式に毎年お邪魔させていただいています。
その時、同校の寒河江弘教授と交流があって、その御縁で根付の講師をしてきました。

大阪芸術大学短大部のフィギュアアーツコースへ根付を伝えに行くということで、
久しぶりに資料用のプリントやパワーポイントなどの制作をしていました。
根付を作るとは違う頭の使い方でIQが上がった気がします。

物を教えることは、まず前提条件に教える人の目線がどんなものか伝えなければならないと思っています。
なぜなら、そこをはっきりしないと、概念の変換作業が上手くいかないと考えているからです。

どんなに概念を伝えようとしても、伝える人の視線からの概念になって本質からずれてしまいます。

前提条件としての立場、思想、美意識、作れる物、要素を知ることにより、
それ以外の物と分けられて本質を見つけやすくなります。

例えば私の目線を筆記するなら作家3年目の鹿角・シャーマン系彫刻根付作家です。
生徒さんは塑像系造形の立場です。

制作のアプローチや使用する素材、理想とする形が違うので、道甫的アプローチ根付から「根付」を抽出して、
学生さんの「根付」を組み立ててもらえればいいなと思いました。

根付は様々な多様性があります。
道甫の情報で、学生さんの視線で見る根付がどのように構成されるか、
12月の根付コンペに生徒さんの作品が見れることが楽しみになった道甫でした。

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  1. 2017/07/20(木) 13:38:28|
  2. 道甫(千葉)

作家便り 「2017年7月/佐野藍(東京)」

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修了制作「サクラオオカミ」と私

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別冊宝島2593 「東京藝大」秘境図鑑
ビジュアルで見る「芸術界の東大」の素顔
宝島社webサイト http://tkj.jp/book/?cd=20259301


ツイッターにて告知をさせて頂きましたが、私のインタビュー記事が掲載されている、
「東京藝大秘境図鑑」が、先月6月に発売致しました。
今回のブログでは、そこでお話しした内容を少し掘り下げ、
私の修了制作の日々で印象的だった出来事を改めて書いてみようと思います。
今回少し長いです。

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ツイッターや、私の活動を見ていてくださっている方はご存知と思いますが、自身の修了制作「サクラオオカミ」

その制作の日々は、とても濃いものでした。

東京藝大彫刻科は、長期休み中、学校での制作が出来ません。
土日も学校は休みで入れないので、実質日数としては、1年間で約140日しか学校では制作できません。

人によっては夏休み中、前回紹介させて頂いた関ヶ原石材様、高木工房様にお世話になり制作することもあるのですが、
私の場合夏休み中は、毎年大森暁生さんの元でのアシスタントの仕事をフルタイムでさせて頂いていたこともあり、
修了制作年といえど、夏休み中は仕事に集中させて頂きたいとはじめから決めていました。

修士2年の年は、とにかくその次の年には大学を出なくてはいけないことが常に頭をよぎっていました。
そこで大きく絡んでくるのが経済的な部分です。
学生最後の年といえど、自分の状況に対してロスの多い行動やお金の使い方をするのがとても怖かったです。
夏休み中、巨大な石を岐阜まで輸送し、またこちらに戻すことや、東京を離れること、
当時の私にとって、時間やお金に対するリスクが大きすぎました。

そうなってくると、後は自分の行動で足りないとされるものを補う他ありませんでした。

夏休み明けの後半戦で、1日の密度を可能な限り上げ、夏の分を取り返せるかどうかは自分次第、
と腹をくくるには夏休みの二ヶ月はとても十分な時間でしたし、
当時の私にとって、それが最善策でした。学校が使える日数で、勝負です。

10月から、後期授業が始まり、制作を再開しました。
後期はじめに自分の前にまた姿を現したオオカミ像は、オオカミというより
ヒグマのような、何枚も余分な皮をかぶった姿で、益々自分を焦らせました。

ただ、このような状況下で決まって自分に訪れるのが、なんとしてでも作り上げたいという気持ちでした。
何故なら、評価のつく世界に対して、自分の精一杯の力を出せないと、何の示準もないまま評価をされることになるからです。
「これは途中だからね、何ともいえないけど、、、」という言葉がはじめに来てしまったら、
私の一年と、頑張って貯めたお金で買った綺麗な大理石と、
周りの支えてくださる方々の気持ちが全て無駄になってしまう気がしたのです。

そのようなプレッシャーを胸に、
今思えば10月以降の自分は、明らかにいつもと違う点が沢山ありました。

どんなに疲れてもあまり眠気が来ない

薄着をしていても寒くない

暗いうちから目がさめる

どんなに食べても体重が増えない、むしろ減る

これは本当に不思議な体の異変でした。常にハイな状態が10月から1月頭まで、続いていたのです。

徐々にそんな異変を感じながら10月を過ごしましたが、唯一きつかったのが、満員電車での通勤です。
家から大学、大学から職場、職場から家の移動はとにかく辛い。

そんな中、同じ石彫をやっている後輩が使っていた大学から徒歩5分ほどのシェアアトリエを、
今の期間は使わないからと言って私に貸してくれることとなったのです!

そのアトリエは根津にあり、デザイン科の方が主に使用されている一軒家のシェアアトリエで、
私はそこにしばらく寝泊まりしたり、制作をできるチャンスを得ました。

本当にその時、神様がいると思いました。
(そのアトリエがなければ、完全にアウトでした)

アトリエを手にした私の日々は、かなり快適になりました。
ただ、初めてそのアトリエに泊まった日に、アクシデントが起こりました。


強烈に寒い


何とその家は、壁に穴が空いていて、夜になるとその隙間風がとてつもなく冷たい。
普通の寝袋で十分と思っていたら、その日は寒さで寝ることができず、
朝の4時半に仕方なく学校に行きシャワーで自分を解凍しました(笑笑)

一度実家に帰り、母にその話をすると、マイナス20度まで使える山用のしっかりした寝袋を貸してくれました!!!!

その寝袋で恐る恐る寝てみた日の暖かさは忘れられません。本当に嘘みたいに暖かいのです。
これはいける!と思い、アトリエでの生活がスタートしました。

大学がある平日には、大体仕事が2.3日入っていて、
学校終わりに大森暁生さんのアトリエに行き、仕事が23時に終わります。
そこから夕飯を食べ根津のアトリエに0時30分に帰る、
その後プリュスウルトラの花影抄さんブースに出させて頂く作品に手を入れたり、
組み立て式のオオカミの尻尾のパーツを作ったりして、
夜中の2時ごろ寝て、朝の5時に起きて大学に行き、
大学のシャワーを浴びて体を洗ったり解凍したりして(笑笑)大学での制作をする。
どんどん体が痩せるので、お昼は節約と、沢山食べれるように、1.5合炊きの炊飯器を持って行き、
1.5合炊いてイナバのカンヅメグリーンカレーとともに食べる。
仕事がない日は大学が閉まった後にその辺のコンセントを使ってまた1.5合お米を炊いて、
再びイナバのカンヅメをお供にご飯を食べて、根津のアトリエに戻り制作をする。

こんな毎日を送っていました。

もちろん定期的に実家に戻って母の美味しいご飯も食べました。
この時ほどご飯の時が嬉しかったことはなかったです。

こんな感じで、根津のアトリエの存在は私を大きく支えてくれました。
そして、もう一つの大きな存在が、修了制作を手伝ってくれた2人、純浦彩さんと、土井彩香さんです。
純浦彩さんは、私が10代の時、予備校の時からの友人で、苦楽を共にした仲でした。
そんな彼女は3浪したのち愛知県芸で学部時代を過ごし、
大学院の受験で藝大彫刻科に私の一つ下の学年に入ってきたのです。
大学院に、入ってきた当初から、「佐野の修了手伝うね」と言ってくれていた彼女に手伝ってもらうこととなったのでした。

一度離れ離れになった友人が、こんな形で自分の制作を手伝ってくれるなんて、思いもよらなかったです。

とにかく純浦彩さんとは付き合いが長く、水入らずの仲。
テンパった私に冷静なアドバイスをくれたり、
時には私の作品なのに彼女の思いも強く、喧嘩したり、(それだけ大切に思っていてくれました)
周りの友人に「純浦、佐野にこき使われてない?」なんて心配されちゃうくらい、
作品を通してがっつり付き合って頂きました。

そしてもう1人、土井彩香さんは、多摩美大にて学部時代を過ごし、
大学院受験で藝大彫刻科に純浦彩さんと同じ学年で入ってきました。
私も彼女も同い年で、同じ石を扱っているのでお互いに何となく知り合いで、
ようやくちゃんとお話しする機会を得たなぁと思っていましたが、
実際にどんな子なのかわからなかったので初めはさぐりさぐり接していました。
けれども話を聞くうちに、とてもハートフルな心の持ち主なことがわかり、
その上とても繊細で、(他からしたら私も繊細なのだとおもうが)彼女が大学に対して気にしたり、
感じていることにとてもとても共感した自分がいました。

そして後期になり、土井ちゃんは「藍ちゃんの作品手伝う!」と言ってくれたのでした。

土井ちゃんは石と接している時間が私よりあるので、いろんな道具や方法を教えてくれました。
本当にびっくりするくらい綺麗に磨けたり、知らない概念を沢山持っていました。
(そういう部分で、他の大学から来た方々と交流するのはとても楽しい)
彼女も純浦彩さん同様、本当に自分のことのように一緒に制作してくれました。
繊細な彼女の、とても頼もしい姉御な部分を知れました。そしてなにより作り終わってから来たメール

「藍ちゃんが一番やで!」

その言葉が、とても嬉しかったです。


アトリエと、そして手伝ってくれた2人の存在、、、
本当にこの場所と、彼女達がいなかったら、私の修了制作は終わらせられなかったと思います。

そんなこんなでお仕事に制作、本当に充実した日々と共に、無事に修了制作を終えたのでした。

今思い返すととても大変だったし、心も常にぐちゃぐちゃだったんですが、
あれだけ充実した日々を学生生活の最後で送れたのは、本当に幸せだったなぁと思います。

そして、その時の経験は今の私の心を支えてくれていますし、
このガッツを与えてくれたのは、周りの皆様やお仕事で見せて頂いた背中なのだと今でも感じています。


しかし、、、
そんな私にも、制作に関してさらに苦しい苦しい試練が待っていました、、、

次回に続く、、、

佐野藍
  1. 2017/07/16(日) 20:06:01|
  2. 佐野 藍

「至水と蝦夷鹿角」

「蝦夷鹿のこと」

至水が根付の材として使う鹿角はほぼ全て蝦夷鹿の角です。

私自身北海道在住で知り合いに害獣駆除の資格を持つハンターが居り、その方から蝦夷鹿の角を譲って頂いています。

根付の材という観点から言えば蝦夷鹿の角は「悪い材」というのが通説で、
現在鹿角で彫られる根付はニホンジカの角を使用した物が殆どではないでしょうか。

二ホンジカの角は蝦夷鹿の角と同様に害獣駆除された個体の角の他に、
春日大社で毎年行われる「鹿の角切り」等で随時切られた角が現地で販売されていたりするので、
花影抄スタッフの方も仕入れに行かれます。

以前私もGalleryから奈良(春日大社)の二ホンジカの角を送って頂いた事があり現物を手にしておりますが、
生きた鹿の角を切るので、クラウンと呼ばれる根本の末広がりな部位よりも幾分上から切り落とされている為より細身な印象でした。

断面を見ると確かに白く詰まった部分が多く、中心に太目の導管が一つ空いているといった感じで。

01_二ホンジカ角
白いです、もっと白いのも普通にありますね。

一方蝦夷鹿の角は髄の面積が大きかったり、本来白く詰まった部位も黒ずんでいたり、
これが「蝦夷鹿の角は悪い材」と言われる原因なのだと思います。

02_蝦夷鹿角

でもこんな感じでも彫ります普通に使います。

しかし山中で害獣駆除され解体された鹿からその場で切り落とした角は、
クラウン直下の径が太く髄が殆ど入らない詰まった部位が採れたりもします。

クラウン直下から切れるという事は獣毛付きの鹿角もあり、
舟幽霊を彫った際には獣毛を利用した残ばら髪を表現出来ました。

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鹿の角は毎年生え変わり前年成長した角は脱離しますので、
運が良ければ自然に抜け落ち断面が丸みを帯びた「落ち角」に山中で出会える事もあり、
抜け落ちてからどれだけ経過したかにも依りますが、髄の中の淡泊質が分解され白みが増した蝦夷鹿角になっています。

ここまで二ホンジカの角と蝦夷鹿の角の違いを私観のみでダラダラと書き綴ってまいりましたが、
ネット通販が一般化した現在では、どちらの角もオークションサイト等で探せば結構簡単に入手出来てしまう訳で、
作家毎の使用する材の地域性というものは「事実上」失われており、あとはもう作家自身の拘りに依るものなのかなと考えていて。

そこで何故に至水は蝦夷鹿なの?と

蝦夷鹿の角を彫り始めた当初はもうホントに髄が嫌で嫌で、リカバリ不能な所まで髄の部位を削り落としすぎたりして、
そこまで掛けた時間と鹿角を無駄にして別の鹿角で彫り直しなんて事も多々ありました。

ところが、なんでしょう、なんと言うか、
いつの間にかその髄さえも鹿角であると言う事として受け入れられる様になってしまっていたのです。

改めて考えてみれば
蝦夷鹿の角の深く濃く染まる髄の色味や、皮目のテクスチャのおどろおどろしさが醸し出す独特な侘感は
「妖怪の意匠と相性が良すぎ」
最早至水の根付は蝦夷鹿の角じゃなきゃってくらいお気に入りな必須の材になってしまっているのでした。

ただこれは、根付彫刻としては「材選びが悪い」と、褒められた事ではないのかなとは思っていて・・・

それでも鹿一頭の命と引き換えに頂いた二本の角を良い材悪い材と選り分けたくは無いというのも本心で。

天然素材だけに切ってみないとわからない鹿角ですが「これで」と決めた鹿角は最後まで使わせて頂き、
決して蝦夷鹿の角である事を理由に「よろしくない」と評される根付に仕上げる訳にはいかんと肝に命じつつ・・・

今日も蝦夷鹿角彫ってる至水です。


03_蝦夷鹿スカル

作業机の上方に鎮座まします蝦夷鹿スカル。
このクラウン直下数cmのみの、最も白く詰まった蝦夷鹿角の大トロ部位を使う日が・・・いつか来るのかなぁ・・・
  1. 2017/07/14(金) 13:50:28|
  2. 至水(北海道)

作家便り「17年7月 /紫苑(伊勢)」

毎日暑い日が続いていますが、皆さん如何お過ごしでしょうか?
製作中に汗がポタポタ落ちて来て、拭いても拭いてもキリがないのに、
未だクーラーをつけようとせず、根付を彫っています。(いったい、誰と張り合ってるのだろう。。。)

今迄、なかなか手が付けられなかった鯨歯をこのひと月彫っていました。
僕がお世話になった方の要望での製作ですが、材料の鯨歯もその方が持って来られた物です。

最初、試しに鯨歯の端材で帯留を彫ってみたのですが、
材が硬くてコレを彫ることに躊躇して、他の製作依頼とかもあったので手を付けずに5年が経ってしまいました。
さすがに彫らないとマズいだろうと一念発起して6月に彫り始め、やっと彫り上がりました。

気に入って頂けるかどうかは、分かりませんが、やっと5年越しの約束を果たせます。
コレでホッと一息つけそうです。

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(この先、なかなか鯨歯を彫ることもなさそうなので、手放すのが惜しい気もしますが、、、)
  1. 2017/07/11(火) 14:10:57|
  2. 紫苑(伊勢)
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